まえがき

まず、今回の記事を書くにあたっての経緯というか理由。最近(いや大体ずっとだが)文章が短いことに気づいたからである。
短い内容で手短にササっと更新を済ませてしまっていることが多くなりました。趣味の一つでやっているのだから気にすることはなく、好きなペースで作っていくのがいいと思っているのですが、
それでも自分の力量を試し、作品としてきちんとしたものを作っておこうと、時々はまじめに文章を考えた記事を書こうかと思ったわけです。
そんなわけで数ページ分もらった気持ちで(実際そういう仕事等したことがないので正確には分からないが)時間をかけてでも製作しようと家にあった資料からテーマを探して書くことにしました。

群馬の路面電車 東武伊香保軌道線

群馬県の高崎、前橋、渋川にはかつて路面電車が走っていました。東武伊香保軌道線です。
今ではほとんどその跡ないようですが、どのような歴史を辿りそしてその現在の姿とは?

伊香保軌道線とは 前橋、高崎から渋川と、渋川から伊香保温泉に至る路線での総称。 1890年(明治23)開通の前橋と渋川を結ぶ馬車鉄道の上毛馬車鉄道、1893年(明治26)開通の高崎と渋川を結ぶ群馬馬車鉄道を前身とする。 両路線の電化計画と時を同じく、渋川―伊香保にも電車開通の機運が高まり1910年(明治43)に路面電車として開通。同年に前述の2路線も路面電車化。

各線の特徴

前橋駅前―(渋川駅前)―渋川新町 前橋線 15.9km
 国道に沿って併用軌道として走っており、坂東橋で利根川を渡る。
 渋川駅を通り、中心部の渋川新町へと向かう。

高崎駅前―渋川新町 高崎線 20.9km
 三国街道に沿っての併用軌道。
 信越線の北高崎駅に飯塚駅があり、信越線の上を跨ぐ立体交差が存在していた。

渋川駅前―(渋川新町)―伊香保 伊香保線 12.1km
 市街地以外では専用軌道を持っており、単線で交換のための信号所では急勾配に対応するためスイッチバック式の待避線が存在した。

3線ともすべて単線であり総延長は40km以上で大都市の市内電車以外での軌道線としては西鉄などを越えて最長だった。
一時期は沼田、吾妻にも路線が開通し、渋川を起点に5方面に列車が走っていた。

1度目の廃止と撤回

1921年(大正10)上越線(上越南線)の新前橋―渋川が開通し渋川へのアクセスの主流となる。
その影響で路面電車は合併により1群の路線と扱われるようになり、さらに1927年(昭和2)東武に買収され伊香保軌道線と総称されるようになる。
東武は伊勢崎線を渋川・沼田方面への延伸計画や東上線の当初の計画として東京から高崎経由で渋川を結ぶ計画が立ち消えになっており、
それらの代わりとしての意味合いもあったかもしれない。

しかし、東武は伊香保軌道線に対して、積極的な開発はなく、バスとの競合も起こって収入は上がらなかったという。東武が伊勢崎線電化および、
日光線の開通に力を入れていた影に隠れる形になったとも考えられている。
1930年(昭和10)に伊香保軌道線は廃止が決まる。しかし戦争の影響によりガソリン統制が厳しくなりバスよりも電車が重要視されるようになったため
廃止は撤回され、戦中は疎開の受け入れが行われていたため、需要が高まり食料輸送に貨車だけでなく客車も利用されるようになった。
戦後は通勤と買い出し客で定員の3倍の客が乗っていることもあり、過去最高の利用客数を更新した。

廃止の決定

その後、競合するバスの輸送量増加を受け、運賃値下げ等の対策も効果なく、廃止が決まる。
1953年(昭和28)に高崎―渋川、翌年に前橋―渋川が廃止、専用軌道を持つ渋川―伊香保も1956年(昭和31)に廃止となる。
廃止の原因はバスとの競合で、特に急勾配の伊香保線はその勾配対策により距離が長くバスに所要時間で大きく差をつけられていたようである。
また、競合のバスも同じ東武グループであったことで残す必要はなくなったと考えられる。

その後

現在でも伊香保は温泉地として知られ東京からの高速バスも運行されており、地域輸送もバスの運行が行われている。
高崎、前橋から渋川を結ぶバスは現在も健在で路面電車を継承している。
バスは群馬バスと関越交通による運航で関越交通は東武グループとして今も影響を残している。
廃線跡として残っている箇所はほとんど内容で後年伊香保に保存車両が公園に展示されるようになった程度である。
(峠の公園)
前橋線の併用軌道区間だった国道17号線もバイパスが開通しルート変更が行われたため一部は291号線に変更され、
高崎線の三国街道もバイパスによってルート変更され県道から外された区間が存在し、交通量が少なくなっている箇所がある。
渋川周辺は現在もバイパスの開通予定があり今後さらに車の流れが変わっていくことが予想される。



参考資料
渋川のチンチン電車の歴史 ―東武伊香保軌道線調査報告書― (渋川市教育委員会)

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